平野稔

【ガイド】東口義松(元巨人) 大正15年11月6日生 神原重人(元南海) 昭和8年9...

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【ガイド】東口義松(元巨人) 大正15年11月6日生 神原重人(元南海) 昭和8年9...

東口義松(元巨人) 大正15年11月6日生 神原重人(元南海) 昭和8年9...

東口義松(元巨人) 大正15年11月6日生
神原重人(元南海) 昭和8年9月15日生
有友敏 (元南海) 昭和6年4月16日生
飯村誠 (元国鉄) 昭和11年1月10日生
梶原寿美生(元広島)昭和10 年9月5日生
志茂友三郎(元近鉄)昭和9年10月17日生
新名耕三(元巨人) 昭和11年9月20日生
上杉芳則(元西鉄) 昭和17年2月4日生
小原五郎(元巨人) 昭和12年4月29日生
北沢禎治(元南海) 昭和14年4月19日生
坂本泰三(元南海) 昭和18年11月29日生
橋詰和明(元南海) 昭和17年10月15日生
新井武士(元西鉄) 昭和17年8月20日生
奥谷達男(元大毎) 昭和22年3月27日生
内木忠男(元巨人) 昭和14年11月19日生
大上良章(元南海) 昭和16年7月27日生
上杉佳章(元大洋) 昭和18年9月13日生
坂本義典(元大洋) 昭和18年2月6日生
白川久夫(元国鉄) 昭和14年11月26日生
水越敏郎(元東映) 昭和16年9月30日生
山口勲(元東映) 昭和16年8月18日生
三浦吉雄(元東映) 昭和16年6月6日生
芦刈達雄(元東映) 昭和17年9月23日生
初村義治(元西鉄) 昭和16年10月12日生
大土富雄(元東映) 昭和17年5月21日生
藤田正一(元近鉄) 昭和15年11月20日生
倉内顕(元西鉄) 昭和15年8月26日生
原正(元西鉄) 昭和16年7月3日生
佐藤英雄(元広島) 昭和16年8月7日生
弥永知則(元阪急) 昭和18年7月20日生
河崎貞之(元阪急) 昭和19年1月28日生
土師一男(元近鉄) 昭和20年10月20日生
上別府幸一(元西鉄) 昭和21年12月12日生
池田正憲(元巨人) 昭和21年10月24日生
田辺修(元大洋) 昭和20年4月9日生
青木勝俊(元西鉄) 昭和18年6月8日生
高橋信昭(元大洋) 昭和19年7月16日生
井木雅彦(元大洋) 昭和22年5月28日生
太田稔(元南海) 昭和19年7月16日生
竹之下五十三(元西鉄) 昭和20年8月22日生
秋丸正道(元巨人) 昭和21年8月10日生
小永井孝(元巨人) 昭和19年5月17日生
松尾勝彦(元阪神) 昭和19年7月13日生
上崎泰一(元中日) 昭和19年12月18日生
ドナルド大森(元広島) 昭和17年8月19日生
古井紘司(元大洋) 昭和17年10月13日生
平野洋司(元大洋) 昭和15年7月27日生
中野正彦(元東京) 昭和19年7月12日生
上崎克公(元中日) 昭和19年12月18日生
池上毅(元国鉄) 昭和17年2月13日生
岩佐基治(元阪神) 昭和30年8月25日生
尾藤龍哉(元阪神) 昭和30年7月13日生
今増伸一(元阪急) 昭和31年5月8日生
田中久義(元阪急) 昭和31年4月12日生

アンサー

それでなにかなあああああああああ


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【悲報】10月からBS-TBSで水戸黄門が放送開始されます。水戸光圀を武田鉄矢が...

10月からBS-TBSで水戸黄門が放送開始されます。水戸光圀を武田鉄矢が...

10月からBS-TBSで水戸黄門が放送開始されます。水戸光圀を武田鉄矢が演じます。第1回のゲストに不良の加藤勝を演じた直江喜一が出演します。印籠を見せた後、武田鉄矢の水戸光圀は直江喜一に何 て言うでしょうか?

アンサー

まさるは「優しい」って書くんですよ。
というのは置いといて、
加藤優が悪役なんですかね?
昔馴染みの仲で、年取って衰えた光圀に、
「黄門様も焼きが回ったな!」とか
いう役だといいなーと思います。
◆直江喜一が悪代官か悪徳商人を演じて、乱闘の末、印籠が見せられて平伏した後、武田鉄矢の水戸光圀に直江喜一に何て言うでしょうか?
◆気持ち悪い。プロパガンダのカスおかま爺に興味なし。
◆でかくなったな小僧。


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【ブログ】大山倍達について。 空手の達人なのは事実ですが彼は人格者だったので...

大山倍達について。 空手の達人なのは事実ですが彼は人格者だったので...

大山倍達について。
空手の達人なのは事実ですが彼は人格者だったのですか?

アンサー

人格者であったかどうかは分かりませんが、武道に対する真摯な求道者の一人であったと思います。
大山倍達氏は元々フェザー級のプロボクサーであり、その戦績も芳しいものではありませんでした。
ボクサー時代に松濤館空手の大竹一蔵氏に誘われて、船越義珍氏の子息にあたる船越義豪氏に師事しました。1942年から1945年の間の事だったと言います。
大山倍達氏が初めに学んだ空手は剛柔流ではなく、松濤館空手だったのです。
その証拠に、松濤館空手の段位認定会派一覧にも、極真会は拓大の福井功氏の拓空会などと一緒に併記されていました。
船越義珍氏は組手を行うことを嫌っていて、型だけでよいとするスタンスを取っていました。
その一方で、剛柔流や沖縄空手の大家である本部朝基氏などの道場では組手が盛んにおこなわれていて、その事で松濤館の高弟同士の間でも意見が分かれていました。
その意見の食い違いの結果、大塚博紀氏は松濤館を離れて和道流を興し、小西泰祐氏も独自の一派を立ち上げました。
大竹一蔵氏は、現在の松濤館空手でも大きな一派を構成する、謙交塾の岡野友三郎氏の同期でした。 「大日本拳法研究会」を作った一人で、その会はボクシングを参考にして、ボクサーの協力を仰ぎ、松濤館空手の人たちが防具やグローブをつけて、新しい組手のスタイルを試行錯誤する場所でもあったのです。
ボクサーであった大山倍達氏は、この時に大竹一蔵氏と知り合いになり、非常に可愛がられたと言います。
大山倍達氏は、大竹一蔵氏の指示を受けて船越義豪氏の送り迎えをしていたと言います。 船越義豪氏は1945年の11月に亡くなっていますので、その若い晩年を考えると直接指導を受けた期間は短かったでしょう。
松濤館を退館したのは、船越義豪氏が亡くなった事と、GHQの統制が入って武道の活動に厳しい制約が入ったからだと思われます。
大山倍達氏は1960年代の記事で船越義豪氏に触れ、その強さと天才を絶賛する記事を残しています。
大竹一蔵氏は松濤館の人間でしたが、大山倍達氏との関係は空手バカ一代の連載が終わったあとまでも続いていたようです。
大竹一蔵氏は東京リースの重役でしたが、極真の大会パンフレットには広告を打っていましたので、それとなく手を差し伸べていたのでしょう。
1960年代の記事では大山倍達氏が航空整備兵だと言う事はすでに語られており、また朝鮮系日本人だったことも明らかにされています。
そして酷評されている田園コロシアムで行われた「雷電号」との闘いですが、その時の協力者の顔ぶれを見てみれば、大山倍達という人に対する当時の空手界の評価が判ると言うものでしょう。
解説者に練武会のトップだった金城裕氏、日本躰道の創始者である祝嶺正献氏、日本拳法の最高師範である森良之佑氏、本部朝基氏の高弟で日本拳法空手道を興した山田辰夫などが前座として参加して組手や演武を披露し、剛柔流からは山口剛玄氏の指示を受けてその子息である山口剛史氏が参加しており、国学院からは和道流の学生が参加して型を披露していたのです。
相当に期待された実力者であり、また嫌われていなかったからこそ、これほどのメンバーが集まったのです。
大山倍達氏が、相当に短気で粗暴なところがあったのは事実でしょう。
しかし空手を真剣に打ち込み始めてからは、相当な自制を自分に課していたと思われます。 そのことは木村政彦氏のインタビューでも伺い知ることができます。
木村政彦氏と大山倍達氏は、日本国内でプロレスの興行を共にしていたことは「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」でも明らかにされていますが、もともとそれは極真の機関誌である「パワー空手」から引用されたものです。
その続きは以下のようになっています。
大山倍達氏は、木村政彦氏の話によると非常によく絡まれたそうです。
しゃべり方は九州地方の人が言う「川向こうの人」のそれであり、目つきは相当に鋭いかったので血の気の多い人間の標的されやすかったのでしょう。
木村政彦氏の言うところでは、そう言った人間に絡まれたら「ゴメンナサイ。」と頭を下げて済ませてしまう。そして知らん顔をしている。
それが一度や二度でなく、何回もあり、木村政彦氏が「ワシだったら半殺しにしてしまうような奴もいた。」と言う事なので、相当に自分を律していたのでしょう。
少なくとも大山倍達氏は、相当な努力家であり、また努力をする人間が好きであったことは間違いないでしょう。
だからこそ優れた弟子が集まってきたのだと思います。
また梶原一騎氏だってバカではないでしょう。
大山倍達氏の評判を聞き、その稽古を見てこれは本物だと確信したからこそ、積極的に取り入っていったのでしょう。
あるいはこういう人間を埋もれさせておいてはいけないという男気もあったかもしれません。
しかし空手バカ一代が始まってから、梶原一騎氏の容喙は相当のもので、「貫録を出すために、もっと太れ」「サングラスをかけて上から見下ろすように話せ。」などと指示していたと梶原一騎氏の著作には書いてあります。
極真の大会パンフレットには梶原一騎氏と大山倍達氏が並んでいる写真などが掲載されていましたが、梶原一騎氏と大山倍達氏のファッションは瓜二つでした。
大山倍達氏は、梶原一騎氏のイメージ通りに動き、イメージ通りに行動していたのでしょう。下品と言えば下品です。お金のためと言えばお金のためでしょう。
しかしお金がなければ、世界大会のような大きな大会は開催できない。
全空連は極真に先駆けて世界大会を開催しましたが、全空連のどんな会派だってそれを開催するお金はありませんでした。
全空連の会長だった笹川良一氏が何億ものお金を出したからこそ、全空連は世界大会を開催できたのです。
ところがその大会に笹川良一氏が出て来て、演武を行うのですが、その内容が凄い。
瓦を20枚も割り、180キロもある大相撲の力士だった高見山を一撃で吹っ飛ばすのです。
笹川良一氏と言う人は胆力のある人だとは思いますが、本当に空手を学んでいたとは思えないのです。政治家ではあっても、武道家としての名前を聞いたことがない。 それが全空連の達人のごとき振る舞いをして登場する。
まさしく茶番です。
大山倍達氏は金がないとこういう事が起こると肝に銘じていたのだと思います。
そして、そのために極真空手最高の人というべき中村忠氏に愛想をつかされたのは皮肉です。
このとき大山倍達氏は、残ったもう一人の最高師範である大山茂氏を後継者にすべきだったと思っています。
実績は十分だし、人柄に問題があるわけでもなく、支部長達の信頼も厚い。
普通なら異論の出るところがない。
大山茂氏が後を受けていれば、極真の分裂はもっと小さかったはずです。
一説によると、大山茂氏と大山泰彦氏は、「俺たちは血と生まれは半島だけど、心は日本人だ。 考え方も日本人だ。友人も皆日本人ばかりだ。」と言っていたらしく、それを聞いた松井章圭氏は言葉に詰まったと言います。
中村忠氏の「人間空手」を読んでみても、大山倍達氏の大山茂氏への評価は不当に低いのですが、半島出身者のくせに民族の誇りを忘れた人間と言う目で見ていたとすれば、意味が通って分かりやすい。
梶原一騎氏によって、昭和の武蔵などと祭り上げられ、理想的な日本の武人として振舞おうとする姿の底には、完全な日本人になる事を拒むものがあって、
それが後継者問題で歪な形で現れて、極真の分裂を生んだのだと思っています。
求道者だったとは思いますが、漫画のような君子然とした人物ではないでしょう。
◆大山倍達館長は、1968年に日本に帰化した元韓国人で
(韓国系日本人)韓国名は崔永宜です。
儒教文化圏では「人格者である」という評価を
非常に重要視するので、彼は「人格者であるか」という質問には
「人格者と評価されたかった人」だと思います。
武道家としての実力と、組織人、企業家としての力量は
非常に高かったとしても、人格者であったかどうかは
私は疑問符がつきます。
・自流派の宣伝のために、多数の他武道を貶しまくる点があった
・自伝を始め「全くの真実だけを」と主張する空手バカ一代などの
自伝的創作に、もの凄い量の創作、嘘、誇大表現がある
ただし、これは当時、武道・武術の新流派を立てるに当たっては
ハッタリ、創作、誇大表現はごく当たり前であったことを差し引いて
考えなければ行けません。
極真空手をさんざん批判したわりに、一度も極真空手と
正式な対外試合をやろうとしなかった堀辺骨法などは、
歴史どころか、創始者の経歴も技術体系もほとんど嘘っぱちで
あったという面があります。比較するのも申し訳なくなる
差ではありますが。
色々な記録を比較した結論として、大山倍達館長は
実践を重視しすぎる余りにかなり喧嘩っ早く、また武道武術に
関してはストイックすぎて、付いてこられない人間を「怠惰、怯懦」
と見下す姿勢があった。また非常に負けず嫌いであり、一方で
自分を大きく見せたい、評価されたいという見栄っ張りでもあった
ように考えられる。現在でいうビッグマウスな面もあった。
(ただし、ただのほら吹きやハッタリ屋ではなく、相当の自身に
裏付けられた者)
また一方で、組織人、経営者としては非常に計算高く、冷徹な
ほどの面があったと思われる(そうでなければ一代であれだけの
巨大組織は作れない)
ではないかと私は想像しています。
◆大山倍達は一代で極真会館を設立して、直接打撃制空手を定着させた。
さらに、空手を国際的に普及させた功績も大きい。
外国の王室や要人とも親交が深かった。
大山の死去により極真会館は分裂したが、それは大山の人間的魅力、求心力によって極真会館が存在していたことを物語っている。
大山の人柄については真樹日佐夫などが記している。
「人格者」という言葉の意味は人により解釈が違うだろうけど、まあYESと言っていいんじゃないかな。
大山は「男なら売られたケンカは買え。そして一発で伸ばしてしまえ。極真は背中を見せない。」と言ってたけど、そんな指導者は滅多にいないよ。
◆漫画で描かれている人物の正反対の人格だったという証言があります。
◆人格者だったら分裂騒動も無かったかと思います。極真なんてのは「最強」をエサにした宗教団体みたいなものです。
◆著者に書いてあることとはかなり矛盾したことが多く、人格者とは言えませんね。
若い頃の強さは本物だと思うが。


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【マル得】藤田敏八監督の「妹」と言う作品を池袋の新文芸坐と言う映画館で今日...

藤田敏八監督の「妹」と言う作品を池袋の新文芸坐と言う映画館で今日...

藤田敏八監督の「妹」と言う作品を池袋の新文芸坐と言う映画館で今日見たのですがあのエンディングはどう言う意味ですか? 妹は結局最後にどうなったの?

アンサー

ネタバレ
結局妹は恋人を突き落とした崖から自らも飛び降りて自殺。妹に肉親以上の愛情を持っていた兄は、たとえ見つからないと分かっていても妹を探し続けるのでした。
私も新文芸坐へ行きました。秋吉久美子さん大好きな元若者です。


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【平成30年度】大路恵美は欲のない女性でしょうかね?上昇志向がない人でしょうか?...

大路恵美は欲のない女性でしょうかね?上昇志向がない人でしょうか?...

大路恵美は欲のない女性でしょうかね?上昇志向がない人でしょうか?一つ屋根のドラマで柏木小梅役は世間の印象に残ったのではないでしょうか?そこから同期の人たちは主役級の俳優になってるの に、彼女だけ脇役止まりです。脇役といっても顔見せだけの役ではなく、それなりにストーリーに食い込む役なのに、主役レベルに上がれないのは華がない?のでしょうか?明るい役をやればイメージが変わりませんか?
Wikiによれば、レコードデビューの話もポシャったようですし、
美貌のある人だからその気になれば結婚することもできたと思うのですが、本人にその気がなかったということでしょうか。
何事においてもチャンスを生かさない?不遇な女性なのか、それとも本人が望んだ結果なのでしょうか。惜しい人材だなと思うのですが。
いゃ脇役専門の人は同じなのでしょうか。羽ばたいて貰えませんか?

アンサー

大路恵美さんは私も大好きな女優さんです。確かに彼女は、「ひとつ屋根の下」で、フジテレビのドラマ史上、最高の瞬間視聴率を取った女優さんですが、最近はインディーズ映画での主演と、2時間ドラマのキーパーソンにおさまっています。「スカッとジャパン!」でもあまりおいしい役ではない出演をされています。しかし、実力のある女優さんなので、舞台や映画で、なにか大きな評価を与えられる作品に出逢えば、賞をとられる事も十分あり得るのではないのでしょうか。
ちなみに、彼女が主演した昼ドラ「永遠の君へ」と、映画「ふるさとをください」は名演です。


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-平野稔
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