結城輝

【効果あり】伊達政宗は東北の諸大名から一時、範囲網を敷かれましたがどう乗り切...

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【効果あり】伊達政宗は東北の諸大名から一時、範囲網を敷かれましたがどう乗り切...

伊達政宗は東北の諸大名から一時、範囲網を敷かれましたがどう乗り切...

伊達政宗は東北の諸大名から一時、範囲網を敷かれましたがどう乗り切ったのでしょうか。

アンサー

正確に言えば伊達家に対する包囲網は政宗以前から始まっていました。
それは「洞(うつろ)」と言われる共同形態が崩壊してしまったのが始まりです。
洞(うつろ)とは、室町時代後期から安土桃山時代にかけて、現在の東北及び関東地方の戦国大名に見られた形態で惣領である当主を中心に一族・家臣をまとめた擬似的要素のある族縁共同体の事。
まぁ大雑把に言えば、東北地方においては
伊達家14代当主の伊達稙宗は、他家と縁戚関係を結びまくってその他家に養子を送り込んだり婿養子にしたりして、事実上乗っ取る形で家臣団に組み入れてしまう事などを繰り返して一大共同体勢力を作り上げたのです。
そしてこれにより蘆名氏・最上氏・田村氏・白河結城氏・岩城氏・相馬氏などが伊達家の影響下にありました。
つまり伊達家はまぎれもない東北地方のの盟主だった訳です。
しかし天文11年(1542年)
伊達稙宗が嫡男の伊達晴宗?後の15代当主?と対立して「天文の乱」という6年に及ぶ大乱となりました。
そしてこの内乱により多くの勢力が伊達家傘下から離脱する事となりました。
彼らはこれより自然と伊達家に対して包囲網を形成するようになりました。
それが尾を引き、正宗の父の16代伊達輝宗と17代伊達政宗を苦しめる事になりました。しかし先の洞(うつろ)による複雑な親戚関係が政宗を苦しめる事にも救う事にもなりました。
伊達正宗対する包囲網は
①人取り橋の戦い
②天正16年の危機
③摺上原の戦い
と分けられるでしょう。
①天正10年(1582年)10月
二本松城主の畠山義継に伊達輝宗が拉致されて結果的に殺害されるという事件が起きました。(畠山義継も死亡)
伊達政宗は義継の遺児の畠山義綱の二本松城を攻めますが、悪天候もあり攻略できませんでした。
しかし実は畠山氏はすでに反伊達勢力らに救援を求めていました。
そしてその佐竹・蘆名・二階堂・岩城・石川昭光・白川・相馬らの連合軍が30000の大軍が救援の為に北上して来たのです。
これに対して伊達軍は7000ほどしか集結できませんでした。
両軍は二本松城より南方に下った地形がやや狭くなった本宮付近で激突しました。
そしてその戦いの激戦地が人取り橋付近でした。
戦いは数に勝る連合軍が伊達軍を押しまくりました。
本陣を切り崩された政宗は自ら槍を振るって戦って敵兵に取り囲まれるなどしますが片倉小十郎の機転で何とか脱出に成功して退却しました。
伊達軍は事実時敗退したのですが、ところが東方の瀬戸川館に立て籠った伊達成実がわずか500で奮戦して連合軍の猛攻に耐え切りました。
そして戦いは日没の為にこの日の戦闘は終結しました。
しかし伊達軍は満身創痍の状態であり、対する連合軍はまだ戦いに参戦していない蘆名軍10000がいました。
翌日も戦えば伊達軍の敗退は明らかでした。
ところが翌日…。
戦場には連合軍の姿はどこにもありませんでした。
連合軍は夜半のうちに全軍撤退していたのです。
これに関しては謎が多いのですが、最近では連合軍内で内紛が起こった事や、佐竹氏領内へ北条軍や里見軍が侵攻する気配を見せた事などが原因と推察されています。
そして後に石川昭光らの仲介で連合軍とは和議が結ばれました。
石川昭光は伊達輝宗とは兄弟であり、政宗には叔父にあたります。
政宗は洞による親戚関係に救われたとも言えます。
②天正16年の危機
天正16年(1588年)、東北の情勢が激しく動きました。
発端は伊達政宗の北方の大崎氏の内紛への介入でした。
大崎氏重臣の岩手沢城主の氏家吉継が政宗に援軍の派遣を要請したのです。
伊達軍は約10,000人(5,000人とも言われる)で大崎領に侵攻しましたが、総大将の留守(伊達)政景と北方方面司令官の泉田重光とが激しく対立したり、作戦計画が楽観的過ぎたりなど数多くの問題点を抱えていました。
その結果、2月、伊達軍は「中新田の戦い」で大崎軍に敗北してしまいました。
そして大崎氏の分家筋に当たった最上氏もこの紛争に介入しました。
最上義光は伊達領の黒川・志田両郡の各所を攻略しました。
これら一連の戦いを『大崎合戦』といいます。
更に伊達氏の同盟国の田村氏(政宗の妻の愛姫の実家)に相馬氏が侵攻。
更に伊達領南方の郡山(福島県)へ蘆名氏・佐竹氏が侵攻。『郡山合戦』
この郡山方面では伊達成実がわずか600名で
佐竹・蘆名軍10000(一説には20000とも)に対峙している状態でした。
このように伊達政宗は連合軍包囲網による袋叩きの状態になります。
そしてこの時、伊達氏本拠地の米沢は全くの手薄状態。
米沢は最上氏の本拠地の山形とは目と鼻の先の位置です。
もしこの時、最上義光が米沢に侵攻したら...。
本拠地を落とされた伊達氏は崩壊へと向かっていたかも知れません。
この時、最上義光は伊達氏本拠地の米沢への侵攻の絶好のチャンスでした。
最上義光ももちろんその気が満々であり、軍を集結させて米沢への侵攻の準備も整っていました。
ところが事態は急変しました。
庄内方面の最上領に上杉軍の本庄繁長・大宝寺(本庄)義勝が侵攻したのです。
最上義光が伊達政宗と紛争中で動きが取れないことを見越して、上杉景勝が庄内侵攻を命じたのでした。
越後から庄内へと侵攻するには日本海岸線の崖が連なった地帯である難所の
「親不知・子不知(おやしらず・こしらず)」を突破しなければならないから大軍が通行し難いので上杉軍は3000ほどでした。
しかし庄内地方に突入すると反最上勢力が一斉に蜂起し、上杉軍は10000ほどに膨れ上がったとも言われます。
この事態を受け、最上義光は伊達と大崎への和議を仲介して成立させ、庄内方面へと救援に向かいます。
(伊達政宗は大喜びした事でしょう)
しかし最上軍がその庄内方面へ向かう途中の重要地点の有屋峠(山形、秋田の県境付近)に秋田県横手の小野寺氏が侵攻して来たのです。
そして最上義光軍は小野寺軍と激突。『有屋峠の戦い』
しかし初戦は小野寺軍の智謀の将の八柏道為の策にはまり最上軍は敗退します。
しかもここで庄内方面の危機の情報が届きます。
そこで義光は後を嫡子の義康らに任せて庄内方面へ救援に急ぎ向かいます。
一方庄内方面では、本庄繁長・大宝寺(本庄)義勝と最上軍(東禅寺義長・勝正)が 十五里ヶ原において激突しました。
合戦開始当初は両軍互角でしたが、次第に数で劣る最上軍が追いつめられていき、東禅寺義長は敵本陣に突撃し戦死。
兄の戦死を知った弟の勝正もまた単身本陣へ突入し、不意をついて本庄繁長に斬りかかりましたたが討ち取られました。
しかし勝正の一撃で繁長の兜はこめかみから耳の下まで切り取られたと言われ、この時勝正が手にしていたのが名刀正宗で、この後に本庄繁長の手に渡った事から「本荘(本庄)正宗」と言われるようになったという逸話も残っています。
このように、最上義光の到着前に庄内方面の最上軍は、
8月の『十五里ヶ原の戦い』で上杉軍に敗れてしまいました。
在地の最上軍はまだ抵抗を続けますが、庄内地方は上杉氏の勢力圏となり、やむを得ず義光は引き返しました。
ちなみに先の有屋峠の戦いは、残された最上義康や鮭延秀綱の奮闘により小野寺軍を撃退しています。
そして伊達政宗も7月に『郡山合戦』中の蘆名氏・佐竹氏との和議が成立し、
天正16年の危機を乗り切る事に成功したのでした。
また実はこの『郡山合戦』の和議成立は、前年の天正15年(1587年)12月の豊臣秀吉による『奥羽惣無事令』の発令の影響でもありました。
つまり、天下人の秀吉による秀吉の許可なく戦闘を行う事への禁止命令です。
そして8月の『十五里ヶ原の戦い』はこの『奥羽惣無事令』に対する命令違反でした。にも関わらず庄内地方は裁定で上杉領のままでした。
最上義光がこの後の『慶長出羽合戦』時に東軍となったのは、この裁定への不満も一因だったとの説もあります。
この「天正16年の危機」は、伊達政宗の綱渡りの用兵と正に運に恵まれ救われたとも言えるでしょう。
③摺上原の戦い
天正14年(1586年)
田村清顕が急死しました。
後継者は指名されておらず子は伊達政宗の妻である愛姫のみ。
田村家家臣団は伊達派と相馬派に分裂。
当初はまだ何とか伊達家の影響下にありました。
しかし天正17年(1589年)
2月ごろ
相馬氏や岩城氏が田村氏の内紛に介入し始めました。
更に蘆名氏も介入に動き出します。
田村氏は伊達政宗の心強い同盟者でした。
ところがなぜか伊達政宗は当初は動きませんでした。
4月ごろ
雪解けと共に伊達政宗が領内に動員令をかけ始めました。
反伊達連合軍はいよいよ伊達政宗が田村氏の救援に動き出したと見ました。
ところが4月下旬
伊達軍は突如として方向違いの伊達・蘆名の最前線にあたる阿子島と高玉城を攻略しました。
この動きに田村氏領へ進軍していた蘆名軍は動きを止めました。
ところが5月
伊達軍はまたしても大きき機動して方向違いの相馬氏領を北方より攻撃。
諸城を攻略して重要地の中村城へも攻撃の気配を見せました。
この動きに当然相馬軍は田村氏領から撤退をせざるを得ませんでした。
しかし伊達軍の主力はすでに蘆名氏領方面へと移動していたのでした。
5月下旬
佐竹・蘆名軍らの連合軍は伊達領に侵攻すべく集結していました。
しかし6月上旬
伊達政宗は次の一手に出ます。
蘆名家家臣の猪苗代城の猪苗代盛国への調略に成功。
蘆名家本拠地の黒川城(会津若松)を攻略できる距離にありました。
これを受けて蘆名軍は猪苗代湖を黒川城を経由して右回りに進撃し、伊達軍も猪苗代城を出撃し左回りに進軍します。
そして両軍は会津磐梯山の裾野の摺上原にて激突。
そしてこの戦いに大勝した伊達政宗は東北の覇権を獲得。
この戦いの後、南方の反伊達小勢力は次々と正宗に征服され屈服したのです。
伊達軍の驚くべき機動力の勝利でした。
◆ベストアンサーはhir********さんですが
説明すると、蘆名も相馬も佐竹も田村も二階堂も石川も白(川)河結城も岩城も大崎も葛西もみんな家系図を見て貰うと、伊達稙宗の子、伊達晴宗の子が当主だったり、正室だったりします。
政宗と争った、蘆名義広ですが、
父親・佐竹義重
母親・【伊達】宝寿院(【伊達】晴宗の末娘)
正室・小杉山御台
父親・蘆名盛興(父親・蘆名盛氏 母親・【伊達】稙宗の娘)
母親・【伊達】彦姫(【伊達】晴宗の娘で宝寿院の姉)
実際、蘆名家でも、伊達稙宗と伊達晴宗の血筋で乗っ取られてます。なので、小説で、佐竹・蘆名・岩城・石川・二階堂・相馬に包囲されていると言っても、彼らは、伊達稙宗や伊達晴宗の娘婿だったり、岩城・石川・二階堂は伊達輝宗の実の兄・弟・姉だったりします。
政宗と婚姻関係の田村の愛姫の父親の母親も実は伊達氏で、実母の相馬氏の母親も伊達氏なので、実は愛姫も伊達氏の血が濃い姫君です。
田村愛姫
夫・【伊達】政宗(父親・【伊達輝宗】)
父親 田村清顕(父親・田村隆顕 母親・【伊達】稙宗娘)
母親 相馬於北(父親・相馬顕胤 母親・屋形御前 【伊達】稙宗長女)
蘆名義広と田村愛姫見ただけでも、蘆名も相馬も伊達家の血が入っているわけですし、そもそも岩城・石川・二階堂は伊達輝宗の兄弟姉にあたるのですから、伊達のプリンスやプリンセスが他国の大名になっているわけです。
彼らは、伊達輝宗が存命中には輝宗と同盟を組んでいましたが、政宗の代になると、俺達こそが伊達のプリンス・プリンセスで、政宗を認めないという態度でした。勿論政宗は孤立無援ではありません。叔父(晴宗の娘が正室)の小梁川泥播斎や大叔父(伊達稙宗の子)の亘理元宗とその子である亘理重宗、大叔父の伊達実元とその子である伊達成実、叔父の留守政景・国分盛重などは、伊達氏に付く大名や国人領主でした。
なので、会津から佐竹の勢力が一掃されると、パワーバランスが伊達>佐竹となり、佐竹領の近くにいた
伯父 岩城(【伊達】)親隆
叔父 石川(【伊達】)昭光
伯母 二階堂(【伊達】)阿南姫
と、系図では伊達氏は出てきませんが、当時の白河城主は佐竹の傀儡政権であり、佐竹義広が白川結城(宗家)に養子に入った為、義広が更に蘆名家の養子になると、小峰白河結城氏の結城義親が白川結城の当主に返り咲きます(白河と白川紛らわしいですね。)。それで、佐竹が会う津から一掃されたので、元の鞘に収まり、伊達氏の配下大名に戻るのでした。
関ケ原が終わると、
白川結城の結城(佐竹)義広(佐竹系)が秋田藩に
小峰白河結城氏の結城義親(伊達系)が仙台藩に行くという事になり
二つの結城氏に別れたという事になります。
まあ結城義広も母親が伊達氏の血を引くんですけどね。
まあそんなこんなで、奥羽地方はみんな伊達氏と覚えておけばいいでしょう(更に北の稗貫氏や葛西氏も伊達系なんですよねw)
◆頑張って乗り切りました。


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